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なぜ、真面目に生きる人ほどお金に困るのか

毎日、だいたい同じ時間になると、家の裏から自転車のブレーキ音が聞こえてきます。キーッという少し大きな音がして、数秒後には聞こえなくなります。

最初は、ちょっと気味が悪いと思っていました。なぜ毎日、決まった時間に、うちの裏で自転車が止まるのだろうと。

誰かが、家の様子でも見ているのだろうか。

そんなことまで考えていました。

ただ、家の裏の道をよく見ると、そこから急に坂になっています。おそらく自転車に乗った人が、坂を下る前に一度ブレーキをかけて、体勢を整えていたのでしょう。

ある日、家の周りで草刈りをしていると、その人を偶然見かけました。かなり年配の男性で、細い体で自転車をこぎ、いつもの場所でブレーキをかけていました。

それから何度か、その人の姿を見ました。

いつ見ても、少し苦しそうな顔をしていました。

その人がどこへ向かっているのかは分かりません。仕事へ行っているのかもしれないし、買い物へ行っているだけかもしれません。

お金に困っているかどうかも、どんな人生を歩いてきたのかも分かりません。ここから先は、僕の勝手な想像です。

それでも、その人の姿を見るたびに思うことがありました。

この人も、毎日同じ時間に起きて、同じ道を通り、長い間真面目に働いてきた人なのかもしれない。

そして、こんな疑問が浮かびました。

真面目に生きることと、お金に困らずに生きることは、本当に同じ方向にあるのだろうか。

真面目に生きれば、いつか報われる

あなたも、子どもの頃から似たようなことを教えられてきたかもしれません。真面目に働き、人に迷惑をかけず、与えられた役割をきちんと果たしなさいと。

嫌なことがあっても、少しくらいなら我慢する。周りの人に合わせて、自分の気持ちはあとに回す。

そうして生きていれば、いつか報われる。

僕も、どこかでそう信じていました。

結婚していた頃も、かなり我慢していたと思います。自分が働き、自分が我慢すれば、家族を守れると思っていました。

波風を立てないことが、家族のためになる。余計なことを言わず、与えられた役割を果たすことが、真面目に生きることだと思っていました。

けれど、最後には別居して、離婚しました。

真面目に働いたことと、家族が残ることは別でした。

我慢した量と、受け取れる幸せも比例しませんでした。

あなたにも、似たような経験はないでしょうか。

頼まれたことを断らずにやったのに、感謝されなかった。会社のために無理をしたのに、給料はほとんど上がらなかった。

相手を優先し続けたのに、最後には「あなたが好きでやっていたのでしょう」と思われた。そんな経験が、一度くらいあるかもしれません。

我慢する人には、我慢する役割が集まる

真面目であること自体は、悪いことではありません。約束を守り、誠実に仕事をすれば、少しずつ信用は積み上がります。

ただし、真面目さを我慢することに使い始めると、話は変わります。

たとえば、あなたはこんなことをしていないでしょうか。

  • 本当は安いと思っても、提示された金額で仕事を受ける
  • 忙しくても、頼まれると断れない
  • お金の話をすると嫌われそうで、自分の希望を言えない
  • 家計を見るのが怖くて、誰かに任せたままにする
  • 結果が出ていなくても、続けることだけを正しいと思う

どれも、外から見れば真面目な行動です。けれど、続けているうちに、周りからは「この人はこれで大丈夫なのだ」と受け取られます。

安い金額で働き続ければ、安く働いてくれる人になる。無理なお願いを断らなければ、無理を言っても大丈夫な人になります。

我慢していることを伝えなければ、相手には我慢していることさえ分かりません。

我慢する人には、さらに我慢する役割が集まりやすい。

「我慢することを引き寄せる」という言葉があります。少し不思議な話にも聞こえますが、現実的に考えても、我慢する選択を繰り返せば、同じ状況が続きやすくなります。

その人が我慢できるから、また同じ役割を任される。本人も「今回も自分が我慢すればいい」と、同じ選択をしてしまいます。

あなたの真面目さは、誰を守るために使われているでしょうか。

他人には誠実なのに、自分のお金には不誠実だった

僕自身、もっと早くからお金の管理に向き合えばよかったと思うことがあります。収入と支出を自分で把握し、将来まで考えて、お金の流れを整えておけばよかった。

家族に任せるだけではなく、何にいくら使われているのかを見る。今の収入が今後も続くのか、貯金はいくら必要なのかを考える。

当時の僕は、家族のために働くことには真面目でした。

けれど、家族のお金を管理することには、あまり真面目ではありませんでした。

もし、もっと早くお金に向き合っていれば、今より貯金が残っていたかもしれません。親の介護が始まっても、もう少し心置きなく助けられたかもしれません。

もちろん、過去は変えられません。本当にそうなっていたかどうかも分かりません。

ただ、今になって思うのです。

他人の期待に応えることには真面目だったのに、自分の未来を守ることだけを後回しにしていた。

これは、僕だけの話ではないと思います。

あなたも、目の前の仕事はきちんと終わらせるのに、自分の貯金額は確認していないかもしれません。人から頼まれたことは忘れないのに、自分が本当に望んでいる暮らしは後回しになっているかもしれません。

自分を犠牲にすることと、誠実に生きることは同じではありません。

真面目に続けても、報われないことはある

発信や起業をしていると、真面目に続けても報われないことがあります。企画を10回出して、そのうち1回うまくいけばいいほうです。

noteの記事も同じです。何十記事も書いた中で、突然1本だけ多く読まれたり、20以上のスキがついたりします。

では、反応がなかった記事は、すべて無駄だったのでしょうか。

おそらく、そうではありません。

何が当たるのかは、始める前には分かりません。だから、試してみるしかないところがあります。

ただし、ここでも真面目さを間違えると、苦しくなります。

毎日投稿を守ることだけに真面目になる。反応が出ていなくても、同じテーマと同じ書き方を繰り返す。

それは本当に真面目なのでしょうか。

むしろ、読者が何に反応したのかを見る。結果が出ていないなら、やり方を変える。

続けるべきものと、やめるべきものを見分ける。

現実を見て修正することのほうが、ただ耐えて続けるより真面目なのかもしれません。

あなたが今続けていることは、未来につながっているでしょうか。それとも、「ここまで続けたのだから」という理由だけで、やめられなくなっているでしょうか。

お金は、苦労へのご褒美ではない

真面目な人ほど、楽にお金を受け取ることに抵抗を感じることがあります。苦労していないのにお金をもらうのは、申し訳ないと思ってしまいます。

短い時間で終わった仕事に、高い金額をつけてはいけない。楽しんで作った商品から、お金を受け取ってはいけない。

過去に作った商品が、寝ている間に売れる。

それを「楽をしている」と感じる人もいます。

けれど、お金は苦労した量に対するご褒美ではありません。相手が必要としている価値を渡し、その対価として受け取るものです。

あなたが10分で解決できた問題でも、相手は何日も悩んでいたかもしれません。あなたが簡単にできるのは、そこまで長い経験を積んできたからかもしれません。

簡単にできるから、価値が低いわけではない。

簡単にできるところまで積み上げた経験に、価値があります。

だから、好きで書いた文章からお金が生まれてもいい。過去に作った商品が、今日売れてもいいのです。

苦しまなければ、お金を受け取ってはいけないという決まりはありません。

あなたは、お金を受け取るために、必要以上の苦労を用意していないでしょうか。

自分を守ることに、真面目になる

真面目に生きる人がお金に困るのは、真面目だからではないと思います。真面目さを、自分が耐えることだけに使ってしまうからです。

これからは、真面目さの向け先を変えてもいい。

相手の希望をすべて受け入れるのではなく、自分の時間を守ることに真面目になる。頼まれた金額で働くのではなく、自分が受け取りたい金額を考えることに真面目になる。

毎日頑張った事実だけで安心せず、その頑張りが何につながっているのかを見る。お金の出入りから目をそらさず、未来の自分に何を残せるかを考える。

それは、わがままではありません。

自分の人生に対して、誠実になるということです。

真面目な人がお金に困るのは、真面目だからではない。
自分を守ることだけを、不真面目にしてしまうからかもしれない。

真面目さを捨てる必要はありません。ただ、自分が我慢するために使ってきた真面目さを、自分の暮らしとお金を守るために使い直す。

真面目に苦しまなくても、お金は入ってくる。

それくらいに思って生きたほうが、ちょうどいいのかもしれません。