こんにちは。静観です。
発信をしていると、どうしても反応が気になります。
noteならスキの数。
ブログならアクセス数。
メルマガなら開封率やクリック数。
商品を案内しているなら、売上や申込み。
数字は見えます。
見えるから、気になります。
もちろん、反応があるのはありがたいことです。読んでくれる人がいるから、発信は続きます。そこには、感謝があります。
ただ、反応ばかりを見ていると、だんだん自分の文章ではなくなっていくことがあります。
「これは読まれるだろうか」
「このタイトルなら反応が取れるだろうか」
「こう書けば売れやすいだろうか」
そう考えること自体は、悪いことではありません。
でも、そればかりになると、発信が少し苦しくなります。
読者に届けることは大事です。
でも、届けるために自分の声を消してしまうと、長く続かなくなります。
今日は、そのあたりの話を書いてみます。
自由に書いて届く人は、たぶん一番強い
少し前に、岡田斗司夫さんがキン肉マンとゆでたまご先生の話をしている動画を見ました。
その話を聞きながら、発信にも似たようなところがあるなと思いました。
ゆでたまご先生は、自分の中にある少年の感覚で自由に描いていた。
それが、そのまま少年読者の読みたいものと重なっていた。
これは、とても強いです。
自分の書きたいものを書いているのに、読まれる。
好きに表現しているのに、届く。
本人が楽しんでいるだけなのに、人が集まってくる。
たぶん、そういう人は、自分の中に読者と近い感覚を持っているのだと思います。
だから、無理に合わせようとしなくても合ってしまう。
でも、多くの人は、そう簡単にはいきません。
自分の書きたいことがある。
でも、読まれたい。
反応もほしい。
できれば売上にもつなげたい。
この間で、少しずつ苦しくなるのです。
読者に合わせようとすると、自分が薄くなる
発信をしている人の多くは、本当は自由に書きたいのだと思います。
自分の感じたこと。
自分の経験。
自分の考え。
自分だけが見てきた景色。
そういうものを書きたい。
でも、いざ発信しようとすると、読者の反応が気になります。
これは読まれるのか。
このタイトルでクリックされるのか。
この内容は役に立つのか。
これは反応が取れるのか。
これは売上につながるのか。
そう考え始めると、発信は急に難しくなります。
特に、コンテンツ販売やコピーライティングを学んでいる人ほど、ここで苦しくなると思います。
なぜなら、読まれる型を知っているからです。
どういうタイトルならクリックされやすいのか。
どういう冒頭なら読み進めてもらいやすいのか。
どういう順番で書けば、最後まで読まれやすいのか。
どういう言葉なら、行動してもらいやすいのか。
少し学べば、そういう型は見えてきます。
そして、実際にその型は役に立ちます。
何も考えずに書くより、読まれやすくなることもあります。
売上につながりやすくなることもあります。
読者に分かりやすく伝わることもあります。
ただ、その型に自分を入れすぎると、だんだん文章から自分の声が消えていくのです。
型で書くと整う。でも、自分ではなくなることがある
普通に人と話しているとき、そんなに順番を考えていないはずです。
まず問題提起をして、次に共感を入れて、そこから解決策を出して、最後に行動を促して……。
そんなことを考えながら、日常会話をしている人は少ないと思います。
でも、記事になると急にそれをやろうとする。
すると、文章は整います。
見出しもきれいになる。
流れも分かりやすくなる。
読者にとっても読みやすくなる。
それは悪いことではありません。
むしろ、読者に伝わりやすくするためには、ある程度の型は必要です。
ただ、整えすぎると、どこかでこう感じることがあります。
読まれる文章にはなっている。
でも、自分の文章ではなくなっている。
この感覚は、発信を長く続けている人ほど、分かるのではないでしょうか。
読まれる型は大事です。
でも、型だけで書いた文章は、どこか似てきます。
有益ではある。
分かりやすくもある。
でも、その人でなくても書ける文章になる。
ここが、発信の難しいところです。
求められているものに合わせれば、たしかに売れやすい
お金を稼ぐだけなら、求められているものに合わせるのが早いです。
世の中が欲しがっているものを見つける。
反応が取れるテーマを選ぶ。
売れている言葉を使う。
読まれる構成にする。
買いやすい見せ方にする。
これは、とても大事な考え方です。
実際に、大きく稼いでいる人ほど、ここをかなり考えていると思います。
自分が書きたいことだけを書くのではなく、読者が求めているものに合わせる。
それは商売として、とても自然なことです。
ただ、これをやりすぎると、発信がだんだん演技のようになります。
読者が喜びそうな言葉を使う。
反応が取れそうなテーマを選ぶ。
売れやすい見せ方にする。
自分の本音よりも、反応を優先する。
すると、売上は上がるかもしれません。
でも、長く続けているうちに、自分の中で何かが薄くなっていくことがあります。
「これは本当に自分の発信なのか」
そんな違和感が出てくるのです。
有益系は大事。でも、有益だけでは残らない
情報発信では、有益なことを書くのは大事です。
ただ思ったことを書くだけよりも、読者が何か持って帰れるものがあったほうがいい。
これは僕もそう思います。
たとえば、読者が記事を読んだあとに、
- 少し気持ちが楽になる
- 自分の発信に活かせる視点が見つかる
- 何か一つ行動してみようと思える
- 自分の迷いが少し整理される
こういうものがあれば、記事としての価値は高くなります。
だから、有益であることは大事です。
でも、有益だけに寄せすぎると、だんだんその人らしさが消えていきます。
読まれるタイトル。
読まれる構成。
読まれる言葉。
反応が取れるテーマ。
そればかりを追いかけると、たしかに記事は整います。
けれども、どこかで「誰が書いても同じような文章」になります。
今は、有益な情報だけなら、いくらでもあります。
検索すれば出てくる。
SNSを見ても、似たようなノウハウがたくさん流れてくる。
だからこそ、これからの発信では、ただ有益なだけでは弱いのかもしれません。
そこに、その人の経験や温度があるか。
その人の言葉になっているか。
その人が本当に通ってきた感じがあるか。
そこが大事になってくる気がします。
何を言うかだけでなく、誰が言っているか
昔から、商品やサービスの独自性は大事だと言われます。
他と何が違うのか。
なぜそれを選ぶ必要があるのか。
どんな強みがあるのか。
これは今でも大事です。
ただ、個人の発信では、それだけでは足りなくなっているのではないかと思います。
なぜなら、商品やノウハウは似てくるからです。
noteの書き方。
ブログの作り方。
メルマガの始め方。
コンテンツ販売の方法。
発信を収益につなげる考え方。
こういうテーマは、すでに多くの人が語っています。
だから、内容だけで圧倒的に違いを出すのは、だんだん難しくなっていきます。
そこで大事になるのが、誰が言っているかです。
同じことを言っていても、この人から聞きたい。
同じノウハウでも、この人の言葉なら入ってくる。
同じテーマでも、この人の経験を通して聞くと安心できる。
こういう状態です。
商品そのものの独自性だけではなく、その人自身の立ち位置、経験、空気感、言葉の温度。
そこに価値が出てくる。
だから、発信では自分を消しすぎないほうがいいと思うのです。
コンテンツ販売という言葉は、少し売り手側に聞こえる
言葉の印象も大事です。
僕自身は、コンテンツ販売を長くやってきました。
なので、コンテンツ販売という言葉を否定しているわけではありません。
ただ、noteの中では「コンテンツ販売」と言うと、少し売り手側の言葉に聞こえることがあります。
読む側からすると、少し構える人もいるかもしれません。
一方で、「有料note」と言うと、少し自然です。
同じように、自分の経験や考えを形にして販売しているとしても、
「コンテンツ販売をしています」
と言われるより、
「有料noteを書いています」
と言われたほうが、読み手は入りやすい場合があります。
これは、言葉の力です。
売っているものは近くても、言葉が変わるだけで、受け取られ方が変わります。
だから、発信では売り手側の言葉を強く出しすぎないことも大事だと思います。
特にnoteでは、売る前に、まずその人の言葉を読んでもらう。
そのほうが自然です。
型は使う。でも、型に飲み込まれない
結局、型はあっていいと思います。
読者に届きやすいタイトルを考える。
冒頭で何の話か分かるようにする。
読んだ人が少し楽になるように書く。
何か一つでも持ち帰れるようにする。
これは大事です。
でも、そこに寄せすぎて自分が消えてしまうなら、少し戻したほうがいい。
自分の書きたいことだけを書くと、届きにくいことがあります。
でも、読者に合わせすぎると、自分が消えます。
だから、その間を探す。
僕は、発信とはそこなのではないかと思っています。
自分の言葉を、読者が入りやすい形で置いておく。
これくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
スキを追いかけるために書くのではない。
でも、読者の存在は忘れない。
売るためだけに整えるのではない。
でも、読者に伝わる形にはする。
自分の好き勝手に書くだけではない。
でも、自分の声は消さない。
この距離感です。
noteとWordPressは、役割を分けてもいい
noteは、日々の声を置く場所として使いやすいです。
その日に感じたこと。
考えたこと。
少し引っかかったこと。
誰かに話すように書きたいこと。
そういうものを、静かに置いておく。
それでいい日もあります。
一方で、深く整理したいテーマは、WordPressに置けばいい。
WordPressは、見出しを立てて、考えを深掘りして、あとから何度も読まれる記事にしていく場所にできます。
noteは、日々の声。
WordPressは、積み上げた考えの置き場。
そんなふうに分けると、発信は少し楽になります。
noteで書いた小さな気づきを、WordPressで深掘りする。
WordPressで整理した記事を、noteから自然に案内する。
これも、発信を資産に変える一つの流れだと思います。
自分の声が残るくらいに整える
読まれる型を知っている人ほど、発信は少し苦しくなります。
なぜなら、整える方法を知っているからです。
でも、型を知っているからこそ、あえて少しゆるめることもできます。
全部を型に入れなくていい。
少し話すように書く。
少し余白を残す。
少し不器用なまま出す。
そのほうが、その人の声が残ることがあります。
有益さは入れる。
でも、有益だけにしない。
読者のことは考える。
でも、読者に合わせすぎない。
反応は見える。
でも、反応に支配されない。
売ることは考える。
でも、売るために自分を消さない。
今の僕は、そのくらいの発信がいいなと思っています。
発信は、人気者になるためだけのものではありません。
自分の考えを少しずつ残していくこと。
自分の経験を誰かに届く形にすること。
その積み重ねが、あとから資産になっていくこと。
そこに、静かな面白さがあります。
今日も、そういうことを考えながら、文章を書いています。
感謝。













