既に宿命という枠は決まっている。運命をどう捉えるかだけ
- 最初の一歩を踏み出しなさい。
- 目の前の現実は確かに自分のせいだ
- 人生はコントロールできないとあきらめてしまった方が良い
- 諦める事で見えてくるもの
最初の一歩を踏み出しなさい
キング牧師の言葉にこんな名言がある。
最初の一歩を踏み出しなさい。階段全体を見る必要はない。ただ、最初の一段を上りなさい。
僕たちは、人生について良く悩むことがある。例えば、副業でお金を稼ごうとかね。そのために、YouTubeで頑張ってインフルエンサーまではいかなくても、それなりにうまく行きたいとか、
チャンネル登録者3万人くらいで、広告収入が毎月10~30万とかあればいいな~と、淡い期待を抱いて、とりあえず初めの1,2本をアップしてみる。
しかし、再生数は2回、登録者は0人。
まあ、こんなもんか~と思う。
それなりに、部活もやってたし根性もあると思ってるから、1か月間くらい頑張ってみるが、登録者5名。
こんなに、頑張ったけど5名なのか、でも振り返ってみると、アップした動画本数はたったの8本だった。
なんで、やろうとおもったのに、たったの8本しかできない?
それは、このやり方であっているのか?やって本当に成功するのか?効率的にできないものか?と、色々な事を損得勘定で物事を考えてしまう。
自分がこの動画を作ってアップしたって、誰かの猿真似だし、すでに先輩たちがすごくいい動画出しているし、無意味だしな。
と、やらない理由が始まり、振り返ると1か月で8本しかアップしていなかった。
あれ?そういえば、Twitterも始めた時も似たようなものじゃなかったか?フェイスブックが始まった時も同じように、損得勘定で考えていなかったか?インスタグラムもそうだったような・・・
※自分は何をやってもダメな人間で、何をやっても続かないんだ。
と、毎回毎回この声が聞こえてくる。
もはや、もう今世はあきらめても良いかもしれない。と思っている。
僕たちの人生は、やらなくて良いことはやらなくて良い。と決まっているようなのです。そして、やるべきことは勝手に、ほっといてもやっている。という風に決まっているようなのです。
これが、宿命です。
そして、いま、心の声を書いてみたけど、
心の声が運命です。
先ほどの、※と下線をいれたところの文字をもう一回見てほしい。
ね。
ありのままの現実を、悪い方に捉えているだけでしょう?これが運命です。
じゃあ~こう考え直してみると面白いかもしれませんね。
※自分は続かないのではなくて、それは必要がないのだ。やるべき事は勝手にやっている
このように変えてみてはいかがだろうか?
目の前の現実は確かに自分のせいだ
たしかに、Twitterを始めた当初から、淡々とやっていれば、あれから5年たった今では、どれだけのフォロアーが増えていたんだろうか
フェイスブックも同じだし、インスタもね。始めてはいたけど全部、1か月そこいらで終わっていた。でも、あの時終わらずに、今でも続けていたら?
そんな声が聞こえては来ないだろうか?
5年間で1825日ある。毎日つぶやいて1825のつぶやきになる。毎日5回つぶやけば、9125回だ、数字を見ると
たしかに、淡々と損得勘定を考えずに、やっていると、フォロアー10万人とか、なっていたかもしれない。
でも現実は、何もないのだ。
別にそれで構わないんだと思う。
15年以上起業をやってきたけど、自分の実力だとどうやらこのくらいのようだ、でもほかの人と何が違うのかな?と考えた時に、自分は文章を書くのが好きだから、文章をただ、淡々と書いて、周りの目など気にせずに、与えられた宿命をこなそうじゃないか。
今は素直にそう思っている。もしかしたら自分が楽しんだことで、周りがその文章を見て、その人の人生が少し明るくなるかもしれない。
そうおもえば、
- まずは自分が楽しい
- そして相手も良くなるかもしれない。
この2つを体現しながら生きていけるのだ。
人生はコントロールできないとあきらめてしまった方が良い
このパートで一番言いたいことを初めに書きますが、「もう悩まなくて良いよ」です。
そう、もう悩む必要がないんです。
ずっと独りで起業をやってきたし、頑張ってきたし、悩みすぎて精神的な病にもなった時期もあったし、少し臓器が病気になったこともあった。
悩んで悩んで「あれが正解かもしれない」「これで覚悟を決めていくぞ」と意気込んでも、思い通りになる事なんて、ほとんどなかった
思いどおり→2
思い通りじゃない→8
2;8くらいの割合で、初めに決めていた事よりも、実際にその場所に行ったときに、お客さんたちが、こっちがいい。といって臨機応変に対応してきたことの方が多い。
結論を言います。
この世界には自分の力ではどうにもならない事があります。どうにもならない事って宿命なので、どうあがいても変えられません。ですから、
諦めても構わないのです。でも諦めるときに、悪い意味のあきらめる。ではなくて、
明らかに眺める方の、あきらめるとして、そのままの現実をあきらかに眺めてみるのはいかがでしょうか?
そうすると、あの人がガミガミうるさいのは、それも明かに眺める事で、家庭がうまくいっていないとかね。
具体的に奥さんが部屋の掃除もせずに、頑張って働いているのに感謝もされていない課長だったのか~とか、いろいろと見えてきます。
ひとは変わらないので、自分がどう捉えるかしか、この世界はないのです。
相手と自分、起きた現象に対して、どうとらえるのか?
与えられた今の場所で、どうプラスに考えて楽しく幸せになっていくのか?
なんです。
そう考えていくと、この日本は今も恵まれていますね。
焼きそば麺が安い場所で15円ですからね^^;
では、100億円上げるという人が目の前に現れたとします。交換条件があなたの目です。と言われたとします。
目球をもらう代わりに、100億円です。
たぶん、大半の方は、目玉を選ぶと思うんです。すでに私たちには、100億円の価値があるということです。これも方便ですが、やはり、今私たちの与えられた現実、場所、人生に対して、
悲観するのか、感謝するのか?しかなかった。
諦める事で見えてくるもの
私の場合は、「もっと楽に生きてよい」でした。
さんざん頑張って、頑張って、悩んで、悩んで、苦しんできて、そうだって決めたことで、コントロールできない。事がわかりました。
でもそれなりに、おかげさまで楽しく人生を歩んではいます。
ストリートファイター2というスーファミのゲームがありました。今でもスト5は大人気ですね。小学校6年生か、中学校だったか忘れましたが、
むらもとの親指の腹の皮膚が今でも固いのです。
これは、十字キーボタンで、波動拳や昇竜拳を出すために適合した証なのです。高校の時に、スト2だこを友達に見せた時に、尊敬された記憶があります。
いまでも、たまにスト2をやりますが、健在で波動拳と昇竜拳を瞬発的に出せるのはここだけの話です。
何が言いたいのか?
私たちは、子供の時は、最強だったと思います。
まわりのめなんてどうでもいい。とにかく、それを楽しみたい。
素直な綺麗な純粋な感情です。
あなたにも皆にも私にも、そういう時代があったのです。今は、子供のように無邪気に遊ぶように楽しむ人がマネタイズに成功します。
誰にでも、その力はあると私は信じています。
最後までご覧いただきましてありがとうございます。
Originally posted on 2022年2月3日 @ 1:50 PM