毎日が土曜日、という生き方に気づくまで
私の人生は、今では「毎日が土曜日」です。
土曜日といえば、ほんの少しだけ仕事をして、あとは自由。そんな感覚です。
朝は目覚ましに追われることもなく、好きな時間に目を覚ます。
その日の気分で食事をとり、やりたい時にだけ仕事をして、疲れたら昼寝をする。
夜も眠くなったら眠る。明日も同じリズムが続いていくのだから、「働かなくてはいけない」という脅迫感がないんです。
「今が幸せだ」と思える日常
一番うれしいのは、やっぱり生活面です。
自由な時間と、心の余裕があるということ。
うちには2階のベランダがあって、そこから遠くの山並みが見えます。
風が吹くと鳥のさえずりが聞こえてきて、観葉植物のガジュマルを眺めながら水をやる。
こだわりの豆で淹れたコーヒーを片手に、ローファイヒップホップを流す。
素足でベランダに出て、足の裏に自然の風が当たる感覚を味わいながら、ただ景色を見る。
その瞬間、「ああ、今が幸せだな」としみじみ感じるんです。
こんなささやかな時間を過ごせるのは、時間の余裕があるから。
そして心に余白があるからです。
かつての私は「昭和の努力と根性」で生きていた
とはいえ、最初からこんな生活ができていたわけではありません。
36歳までは「昭和の努力と根性」そのものの毎日でした。
料理人として朝から晩まで立ちっぱなしで働き、睡眠時間を削って働く。
インターネットビジネスを始めてからも、家族のために必死で勉強しては作業を重ね、朝から晩まで机にかじりつくような生活。
「楽をするために入ったはずの世界なのに、なぜオフラインの仕事よりもきついんだろう?」
自分でも疑問に思うくらい、消耗していました。
当時の私は、ただ「がんばるしかない」と信じていました。
でも、その努力は思ったほど実を結ばず、気持ちはいつも追い詰められていたのです。
挫折がもたらした気づき
やがて大きな挫折を経験しました。
あれもこれもと手を広げていたことを一度すべて見直し、思い切って「メルマガ一本」に絞ったのです。
そのころには、収入は最高で年間3000万に達していました。
でも、稼げば稼ぐほど家庭の中でお金が流れ出ていく現実がありました。
「もう、こんなに稼ぐ必要はないのかもしれない」
「そもそも、楽をしたくて始めたんだから、もっとシンプルでいいはずだ」
そう心に変化が起きました。
そして、40歳で別居、44歳で離婚という大きな節目を迎えました。
もしあのまま一緒に暮らしていたら、まだ「努力と根性」で消耗し続ける生活をしていたかもしれません。
人間関係の変化は、私が「楽に生きる」という方向にシフトする大きなきっかけだったのです。
「インターネットの不動産」を持つようになった
その後、仕組みを整えたときに気づいたんです。
「ああ、自分はもう、毎日が土曜日なんだ」と。
インターネットを通じて安定収益が入ってくる仕組みをつくり上げ、
1日1通メルマガを書けばそれで十分になった。
今ではAIの助けもあって、ラジオもYouTubeもほとんど手間をかけずに発信できています。
それはまるで「インターネットの不動産」を持っているような感覚。
自分が働かなくても仕組みが働き続けてくれる。
だから私は、1日に1時間も働かないで暮らしていけるのです。
こうして私は、36年間の「努力と根性」の生活から、「毎日が土曜日」の生き方へと切り替わりました。
そして今、心から「この世界は遊びに来た場所なんだ」と思えるようになったのです。